伊江島にある上地流系の史跡「拳聖 新城清優(しんじょうせいゆう)顕彰碑」をご紹介します|沖縄伝統空手道振興会
伊江村
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沖縄美ら海水族館や、沖縄発のテーマパーク「ジャングリア沖縄」のオープンでも知られる沖縄本島北部の本部半島。
その本部半島から北西約9kmの海上に位置する離島「伊江島」。
本部港からカーフェリーに乗船し、およそ30分の心地よい船旅の先で上陸する島にある「伊江村総合体育館」の敷地内に、沖縄空手界の重要な功労者である新城清優(しんじょうせいゆう)氏の功績を讃えて、2022年12月10日に「拳聖 新城清優顕彰碑」は建立されました。
新城清優氏は、沖縄伝統空手の三大流派の一つである上地流空手道の重要な継承者として知られています。
1929年和歌山に生まれた清優氏は、わずか10歳で上地流の開祖・上地完文の門下に入り、空手修行を始めました。
戦後、父の故郷である伊江島に戻った後も上地完文と共に稽古を重ね、その精進は止むことがありませんでした。
1960年には嘉手納に「上地流空手道嘉手納修武館」を開設。米軍基地に隣接する立地を活かし、
地域の人々はもとより、多くの米軍関係者にも上地流空手道の指導を行いました。
厳格な指導者として知られた清優氏は、特に息子である清秀氏(現・上地流空手道拳優会会長)への指導において、
より一層の厳しさを見せたと伝えられています。
上地流は、開祖・上地完文が中国福建省で学んだパンガヰヌーン拳法を源流とし、三戦の型を最重要視する特徴を持ちます。
全身を叩いて鍛える独特の鍛錬法や、四本貫手、拇指拳といった特殊な技を多用することでも知られ、その防御力の高さには定評があります。
清優氏は1981年、52歳という若さでその生涯を閉じましたが、上地流空手道の技法と精神を次世代に伝えた功績は大きく、現在も多くの人々に敬愛されています。
この顕彰碑は、沖縄空手の伝統を守り、その発展に尽力した清優氏の遺志を後世に伝える重要な史跡として、伊江島の地に永く立ち続けています。