泊手系「泊手中興の祖 松茂良興作墓所(松茂良家墓所)」|空手史跡めぐり|おきなわ空手ツーリズム
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泊手系「泊手中興の祖 松茂良興作墓所(松茂良家墓所)」

恩納村安富祖にある泊手系の史跡「松茂良興作墓所(松茂良家墓所)」をご紹介します|沖縄伝統空手道振興会
恩納村

沖縄観光のメインストリート「国道58号線」。日々多くのレンタカーが行き交うリゾートエリア「恩納村」安富祖(やふそ)に差し掛かるドライブコースを少し入った一角に、その墓所はあります。眠るのは松茂良興作(まつもらこうさく)――「武士松茂良」と称され、泊手(とまりて)中興の祖と後世に称えられることになる武人です。生涯を通じて名誉も地位も顧みなかった男が、この地に眠っています。

1829年、興作は那覇の泊村に生まれました。港町として異文化の風が絶えず吹き込むこの土地で、中国武術の影響を色濃く受けながら、若い興作は空手の源流である「手(てぃ)」の修行に没頭していきます。王府に仕官する道を選ばず、在野の武術家として生涯を貫いた彼が磨いたのは、後に少林流や少林寺流、松林流など数多の空手流派の源流となる希少な技でした。

壮年を迎えた興作は、泊の周辺で後進たちに稽古をつけ、泊手を広めていきました。技だけではなく、その人柄もまた人を惹きつけたそうで、横暴な振る舞いを続けていた薩摩藩士を、興作がただ一人、武術によって制したという話が今も語り継がれています。

その教えはやがて、沖縄空手の歴史を塗り替えていく人物たちへと流れ込んでいきます。本部朝基は泊手の技法をその源流として吸収し、糸洲安恒もまた思想的な影響を受けたとされています。糸洲はのちに空手を学校教育へ持ち込み、それまで道場の中に閉じていた空手を社会へ開いた人物として知られます。松茂良の系統は松林流・和道流・本部系統などへと枝を広げ、現在、世界中の道場で受け継がれる空手の一角を今も支えています。

1898年、興作は69歳で逝去しました。

沖縄空手の歴史を語るとき、泊手の名は欠かせません。その泊手が今も生きているのは、一人の武人がひたすらに技と心を守り続けたからです。墓前に立つとき、観光案内にも載らないこの場所が、静かな確かさでそのことを伝えてきます。

基本情報

史跡名

泊手系「泊手中興の祖 松茂良興作墓所(松茂良家墓所)」

住所

〒904-0402 沖縄県国頭郡恩納村安富祖

駐車場

国道のパーキングスペースあり

備考

史跡は故人のお墓であり、ご遺族の墓所となります。節度ある行動をして下さい。

近くの観光地

万座毛(車で約12分)

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