豊見城市渡橋名(とはしな)にある那覇手系の史跡「宮里栄一墓碑(宮里家墓所)」をご紹介します|沖縄伝統空手道振興会
豊見城市
沖縄空手会館から車で10分程、豊見城市渡橋名に位置するこちらの墓碑は、沖縄剛柔流空手の発展に生涯を捧げた空手家、宮里栄一(みやざとえいち)を偲ぶ史跡です。剛柔流の創始者・宮城長順氏の高弟として、伝統的な空手技術の継承と普及に尽力した宮里の功績は、沖縄空手界において特別な意味を持っています。
宮里栄一(1922〜1999)は那覇に生まれ、幼少期から父のもとで空手を始めました。その後、剛柔流の創始者・宮城長順に正式に師事し、生涯にわたって学び続けました。宮里は剛柔流の全ての形(型)を学んだ数少ない人物の一人とされ、宮城長順から直接指導を受けた高弟として、その教えを最も深く理解した指導者の一人です。
1946年、宮城長順の推薦により琉球警察(後の沖縄県警)に入隊し、警察学校で空手・柔道の体育指導に従事しました。1953年の宮城長順の死後、公式な後継者としてその教えを継承し、宮城の庭道場の指導を引き継ぎました。そして1956〜1957年頃、那覇に自身の道場「順道館(じゅんどうかん)」を開設し、伝統的な剛柔流の稽古場として多くの弟子を育成しました。順道館は今日でも世界各国で剛柔流の伝統を伝える中心道場として知られています。
宮里栄一の功績は空手だけにとどまりません。空手と並行して柔道の修行にも励み、沖縄柔道チャンピオンになるなど高い実力を発揮しました。さらに沖縄柔道連盟の会長も務め、地域柔道界の発展にも大きく貢献しました。剛柔流空手では最高位の10段(範士)を授与され、柔道でも高段位を保持するなど、両武道における卓越した技術と指導力が認められています。
その功績は国内外で高く評価され、1984年には講道館からの表彰、1994年には日本武道協議会および沖縄柔道連盟からの表彰を受けました。1998年には文部省(当時)からの公式表彰も受けています。宮里の門下からは国際的な空手家が多数輩出され、その教えは世界中に広がっています。
宮里栄一墓碑は、沖縄剛柔流空手を学ぶ者にとって特別な意味を持つ場所であると同時に、地域の武道文化を象徴する重要な史跡です。晩年まで稽古と指導を続け、1999年に那覇で逝去した宮里氏の精神は、今なお多くの武道家たちに受け継がれています。剛柔流空手の歴史を学びたい方、沖縄武道の精神に触れたい方に、ぜひ訪れていただきたい場所です。



