那覇市泊にある首里泊手系の史跡「松茂良興作(まつもらこうさく)レリーフ」をご紹介します|沖縄伝統空手道振興会
那覇市

那覇市安里から泊を結ぶ崇元寺通り。その裏手にある静かな住宅街の道沿いに「松茂良興作(まつもらこうさく)レリーフ」が設置されています。沖縄空手四大流派の一つ「泊手(とぅまいでぃ)」中興の祖として、その名を歴史に残す松茂良興作とはどのような人物だったのでしょうか。
1829年、泊村(現那覇市泊)に生を受けた松茂良は、やがて泊手の元祖である宇久嘉隆(うくかりゅう)と照屋規箴(てるやきしん)に師事し、泊手を習得していきます。師のもとでめきめきと頭角を現した松茂良は、その生来の正義感から数多の苦難と波乱万丈の人生を経て、「武士松茂良」の名と武勇伝を後世に残しています。
また松茂良の弟子には、後に少林流を興す島袋善良、松林流の長嶺将真、少林寺流の仲里常延、一心流の島袋龍夫など、数多くの空手家を輩出した喜屋武朝徳や、1922年11月の京都で飛び入り試合の末にロシア人ボクサーを倒し、沖縄空手を一躍有名にした本部朝基など、沖縄空手の大家が名を連ねています。