那覇手系「東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)・宮城長順(みやぎちょうじゅん)顕彰碑」|空手史跡めぐり|おきなわ空手ツーリズム
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Karate Historical Sites Tour空手史跡めぐり

那覇手系「東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)・宮城長順(みやぎちょうじゅん)顕彰碑」

那覇市松山にある那覇手系の史跡「東恩納寛量・宮城長順顕彰碑」をご紹介します|沖縄伝統空手道振興会
那覇市

飛行機を降り立った那覇空港から市内へとのびるバイパスを抜けた先に、観光客をお出迎えするような一対の巨大な龍を模した柱が現れます。その間をすり抜けて、那覇大綱挽きの舞台となる国道58号線久茂地交差点へと進む道の車窓に、より一層濃い緑が生い茂る庭園「松山公園」が現れます。

沖縄を象徴するような大きなガジュマル群が影を落とす園内は、小さな子供連れやシニアの憩いの場として親しまれ、またテニスコートや遊歩道など、地元市民の活動の場としても利用されています。
そんな穏やかな日常を繰り広げる公園の一画に、沖縄空手界の偉人「東恩納寛量(ひがおんなかんりょう」、そして宮城長順(みやぎちょうじゅん)の顕彰碑が静かにたたずんでいます。

沖縄空手は、もともと沖縄にあった徒手空拳の武術「てぃ」が、中国との交易により伝来してきた武術を取り入れ独自に発展した沖縄発祥の武術です。盛んだった地域によって「首里手(スイディ)」「泊手(トゥマイディ)」「那覇手(ナーファディ)」として区分され独自に発展していき、やがて「しょうりん(小林・少林・少林寺・松林)流」「剛柔流」「上地流」の流派が誕生していきました。

「那覇手(ナーファディ)」にルーツを持つ剛柔流(ごうじゅうりゅう)は、創始者である宮城長順(1888年-1953年)が、彼の師である東恩納寛量(1853年-1915年)から学んだ技を引き継ぎ、沖縄空手で初めて命名された流派として、世界中に広まった沖縄発祥の空手流派です。

宮城長順の師である東恩納寛量は、沖縄に古くから伝わる武術「てぃ」に、自らが中国福建省で学んだ中国拳法の技と知識を融合させ、独自の武術として「那覇手(なーふぁでぃ)」の基盤を築き、現代の剛柔流の土台となる技術や思想を形成しました。

その教えを継承し、さらに発展させたのが宮城長順です。宮城は剛柔流の型や稽古を体系的に整理し、現代的な武道として構築しました。特に「転掌」「三戦」は、剛柔流の象徴的な型として知られています。

「東恩納寛量・宮城長順顕彰碑」は、この剛柔流の歴史と偉大な先人たちを讃えるために、1987年に那覇市「松山公園」に建立されました。この碑には、東恩納と宮城の名前が刻まれそれぞれの功績が記されており、その精神や歴史的意義を剛柔流を学ぶ世界中の空手家に伝える象徴的な存在となっています。

訪問者は、この顕彰碑を通じて剛柔流の歴史とその意義を学ぶことができるだけでなく、沖縄空手全体の深い歴史と文化的背景についても理解を深めることができます。那覇市「松山公園」は、剛柔流空手の伝統とその発展の物語を伝える重要な場所となっているのです。

基本情報

史跡名

那覇手系「東恩納寛量・宮城長順顕彰碑」

住所

〒900-0032 沖縄県那覇市松山1丁目17-9

駐車場

コインパーキングあり

備考

パレットくもじから徒歩約12分

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